銀座、新橋、有楽町まなどの東京の喫茶店が激増したのは関東大震災後の癒しのため!






1923年の今日、関東大震災がありました。あれから100年、その悲惨な状況を忘れてはならないと、あちらこちらでイベントを実施しています。
ちょうど、私の新橋オフィスの近く、汐留、シオサイトで写真展が行われている。
(9月4日まで開催)
「関東大震災100年-写真に刻まれた記憶-」が開幕  汐留シオサイト・地下歩道で9月4日(月)まで | 公益財団法人新聞通信調査会 (chosakai.gr.jp)

一方、東京の喫茶店の始まりは、1888年(明治21)年に開業した「可否茶館(かひさかん)」とされており、台東区上野には「日本最初の喫茶店『可否茶館』跡地」の碑が立っている。東京で喫茶店が数を増やしたのは、1923(大正12)年に発生した関東大震災後とされている。
『東京市統計年表』には1898(明治31)年以降の喫茶店の数が記されており、これによると、1898年には戦前の東京市の旧市部(1932年以前の東京15区)に69軒だった喫茶店が、1940(昭和15)年には2867軒にまで増えています。そのなかでも特に1923年から1924年までで、55軒から159軒へと急増しているのです。銀座の記述を見てみると「昨年あたりから喫茶店の名に『茶房』と云うのが目立ってきた」とあります。これは現代のおしゃれな店が「○○カフェ」と名乗るようなものでしょうか。
「茶房」のついているお店を見てみると、西銀6丁目(現在の銀座6丁目の一部)の「南蛮茶房」というお店が載っており、「南蛮より南欧情緒に意匠を凝らす」「6人の振袖ガールも純日本娘でしとやか」「コーヒー紅茶よりビールが売れて」とありました。どうも喫茶店としてオープンしたところ、アルコールを出す夜の営業の方がもうかっているという印象を受けました。
続いて、銀座2丁目にあった「都茶房」。こちらは、かなり豪華な喫茶店だったようで、東京でも1台しかない蓄音機「1935年型RCAビクター」を設置し、名曲のレコードもそろっているとしています。しかも「ユニホームの喫茶嬢とセミイブニングのレコードガール」とあるので、豪華なぶん、店員の人件費も相当なものだったのかと想像します。

こんな自然災害は増えている今の時代、防災グッズ・・用意しておきましょ。

↓バッテリー充電のために1つ用意しておくのも良いと思います。
最近のソーラーパネルは性能が良いので充電なっちりです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です